2007年12月07日

まぁ、なんというか

「心と体の傷が癒えない」南京事件70年で生存者ら証言

「あの時の心と体の傷は決して癒えません」。旧日本軍による南京の市民らに対する殺害や暴行、略奪などがあったとされる日中戦争中の「南京事件」から、今月で70年。
大阪市中央区のエル・おおさかで1日、この事件の生存者2人の証言を聞く集会が開かれた。2人のうち、初来日した南京市の張秀紅(ツァンシュウホン)さん(81)は何度も言葉を詰まらせながら、当時の体験や胸中を語った。

声を詰まらせながら体験を語る張秀紅さん=1日午後2時40分、大阪市中央区で
http://www.asahi.com/kansai/news/image/OSK200712010189.jpg
 
「11歳の時、日本兵が自宅に来ました。私を守ろうとする祖父を銃剣で脅しました」。
張さんは約80人の聴衆を前に、うつむきがちにゆっくりと体験を語り始めた。

「無理やり隣の空き家に連れていかれ、服を脱がされました。両足を押し広げられ、痛さで気絶している間に、強姦(ごうかん)されました。気がついた時、下半身は血だらけでした。祖父が泣きながら抱きしめてくれました」
そう話し、張さんは大声を上げて泣いた。
今でも腰や股関節が痛み、しゃがむことができないという。

集会は96年から毎年続いており、今年は東京や名古屋、神戸など8都市で開かれる。
主催する南京大虐殺60カ年全国連絡会の招きに、張さんは当初「日本に行ったら殺される」と固辞。
半年間ほど迷った末に「真実を語りたい」と決意したという。

男性生存者で南京市に住む伍正禧(ウツェンシ)さん(84)は「3人の日本兵が自宅に来て、兄といとこ、叔父の計5人を連れ去りました」と証言。大勢の死体が放置された沼や川を捜したが、行方不明のままという。
その数日後には、若い女性を求めて自宅に押し入った日本兵に、目の前で祖父を刺殺された。3度目の来日。「南京事件を知らない若い人や、事実ではないと言い張る日本人もいる。私たち生存者がしっかり伝えたい」と語った。

証言を聞いた大阪市平野区の教諭森口和美さん(55)は
「生存者の生の声に言葉を失った。記憶にとどめ、語り続けないといけない」と話した。

朝日新聞
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200712010190.html
前スレ ★1  2007/12/02(日) 01:54:33
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1196528073/l50




いわゆる南京大虐殺ですか?w
なんというか、戦時国際法を無視して戦いまくった祖国の戦術をまずは恨むべきではないのですかね?w
あんたらの祖国が、世界の約束事を守らなかったからいけないんだよね、これが。
毒ガス?それがどうした。お前らは便衣兵をつかっただろ?

日本が先に攻めてきたからだって?
はぁ?

通州事件って知ってるか?ああん?

(※1)


まぁ、時系列すら理解できない人には無理な注文のようなきもしますが。

さて、南京大虐殺があったのか、なかったのか。
まず先に私個人の考えを申し上げると

なかった。


です。
まず、住民をぶっ殺す利点がありません。利点というのはナニも人道上に沿ったものではなくて、武器・弾薬の補給という観点からです。
一部の脳内最強皇軍と戦った方及び脳内最強皇軍を研究している方以外はほとんど誰でもわかるとおり、旧軍はぶっちゃけビンボーです、マジデ。
さて、仮に南京で40万人程度ぶっ殺したとしましょう。
38式だろうが、擲弾筒、歩兵砲、いや九二式重機でもいいや。
なんでもいいから40万人を殺したとしましょう。
で、その40万人を倒した後の物資の補充はどうなったのでしょうか?w
第一、南京攻略戦は城外での野戦における砲戦であり、百人切りとかおこなわれるような戦場ではありませんでした。

また、南京大虐殺というのが個人の罪なのか、組織の罪なのかも論点です。
個人レベルの罪はあったのだと思います。わからんけど。
ですが、”日本軍”という組織のレベルであったのかが問題なのです。(※2)
まず、軍という組織は命令系統が上から下へのトップダウンです。
コレがなってない軍はもう崩壊しています。
いくら下克上の風潮があった陸軍でも命令系統は上から下でした。
しかも、虐殺命令の指令書はないのに、憲兵で取り締まれ!という命令書はあります。
コレが何を指しているかはおおよそ一目瞭然です(※3)

まぁ、物証が基本的に否定しているんですね。
無論、個人の罪はわかりません。
例えば上のおばあさんとのころに数人の日本兵が来て本当に乱暴したのであれば、日本軍は取り締まる必要があります。
それを放置したのであれば、確かに日本軍の落ち度であり、怠慢でしょう。
ですが、それはその数人の日本兵の罪であり、日本軍には何ら罪はありません。
いや、未然に防げなかった、軍規が乱れている、と言うことで責められるかも知れませんが、それは大虐殺などという馬鹿げたものではなく、組織の緩みであり、本来は責められるべきものではないのです。

さて、歴史を巡る対立がありますが、私は個人的に歴史に触れたくありません。
なぜか?
私はこのような大論争が大嫌いだからです。
歴史の評価はいずれ、遠い未来の後世の人物が決してくれます。
100年先か、200年先か。はたまた千年先か。
無論わかりませんが、今ココで争う理由はないと思うんですよ。(※4)















※1
なお、通州事件は既に解決済みでありコレをいたずらに広めるのは不法行為、である。
同様に、日中政府間によって両国の戦争行為による賠償は完全に解決済みであり南京大虐殺なども解決している。
なお、コレを理解できない国が隣にあるが、かの国は遡及法を作るなど近代法治国家の原則を完全に無視しているので理解できないのは当然といえるかもしれない。


※2
数の疑問が疑われ、かつ論破されるとよく言う言葉
「数の問題ではない!」
があるが、全くその通りである。
数ではなく、それが組織全体の罪だったか?が問題である。
仮にたまたま日本軍の兵士100万人がたまたま同じ日にたまたま100万人の住民を殺してもそれは、100万人の兵士の各々の罪であり、日本軍に非はない。
つまり、南京大虐殺なるものが日本陸軍の組織だった命令だったという物証がないといけないのである。


※3
これの変わりに例えば証言があるが、それは組織の命令ではない。
例えば一介の中尉が個人的に中国国民に恨みがあって口から出任せで「南京市民を虐殺せよ」という言葉を出したとしてもそれはその中尉の言葉であり、下の階級のものから見たら”命令”でも実際の命令でない以上、日本軍は関与していないことは明らかである。
すなわち、当時南京市内を攻略していた第16師団に対しての命令書がないければ、日本軍関与は基本的に否定できる。


※4
と、いっても未来に丸投げはさすがに苦しいので今から始めるのがよろしいのだが、基本的に今決定する、という姿勢は変えた方がよいと思う。
乙巳の変なり、平治の乱、本能寺の変なりなんなりすべてその後の評価が今に伝わってるのではなく今までの積み重ねによって変わってきた。
それを考えて歴史は見るべきだろう。




追記
南京掃討戦で大虐殺が起こったかというと個人的には否である。
南京攻略戦に先立つ南京掃討戦は完全なる野戦であり、敵野戦部隊を平行追撃と目標追撃を用いて完全に捕捉・殲滅するところにその意図がある。
よって、南京掃討戦の段階では村々を一々襲撃している時間などなく、また、いかな「我が(日本軍)1個大隊は敵1個師団に匹敵する」と、豪語しまくっていた日本軍も9個師団前に敗残兵とはいえ30個師団がいたのでは早急に包囲殲滅をしなければ成らなかったと思われる。
なお、この掃討戦における中国軍の死者数はおよそ30万と言われている。
posted by ドゥエム伯 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 東亜+の諸問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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